DX7とプリセット文化 - なぜ80年代の音楽は「同じに聞こえる」のか
📝 はじめに
本稿は、1980年代音楽の“カーボンコピー感”の正体を、技術史の観点から解剖するアラカルト記事である。 結論を先に言えば、その核心にあるのは 「Yamaha DX7」とプリセット文化の成立だ。 これは単なる楽器の流行ではなく、音色=個性という前提そのものを崩した、80s音楽最大の構造転換点である。
🎹 DX7とは何だったのか
🧠 1983年の衝撃
1983年、Yamahaは DX7 を発売する。
- 完全デジタル・シンセサイザー
- FM音源
- 低価格
- 軽量
- 安定したピッチ
- 大量のプリセット音色
DX7は「プロの音」を初めて大量生産した楽器だった。
それまでのシンセは
- 音作りが難しい
- 再現性が低い
- 演奏者の癖が強く出る
という、職人的楽器だった。
DX7はこれを根底から覆す。
🎛️ プリセット文化の誕生
📦 音色が「選ぶもの」になる
DX7最大の革命は、音質そのものよりも 使われ方 にある。
- 音色を「作る」のではなく
- 音色を「選ぶ」
という発想の定着。
これは「音色の民主化」であると同時に「個性の外注化」でもあった。
🎹 有名プリセットの量産
- E.Piano
- Bass
- Bell
- Brass
これらは
- 多くのヒット曲
- 多くのジャンル
- 多くのアーティスト
でほぼ同一の音色として使われた。
「あの音=あの曲」ではなく、「あの音=80年代」になる。
🎚️ 録音・制作現場への影響
🧱 音のレイヤー化が加速
DX7の音は
- 輪郭が明瞭
- 周波数帯が整理されている
ため、
- 多重録音
- 積層構造
- 完全同期
に非常に向いていた。
結果、
- 人間的グルーヴより
- 設計された音響建築
が評価されるようになる。
⏱️ 再現性という正義
- ライブで同じ音が出る
- ツアーでも再現可能
- 映像と完全同期
MTV時代に最適化された“正しい音”。
しかし同時に、
- 偶然
- 揺れ
- ミス
は価値を失っていく。
🌍 社会背景との共鳴
💼 成果主義とプリセット
80年代アメリカ社会は
- 成果
- 効率
- 再現性
を重視した。
DX7の思想は、
- 成功モデルの再利用
- 安全な選択
- 失敗しない音
という、レーガン期の価値観と完全に同期している。
DX7は楽器である前に、80s的合理精神の結晶だった。
🎶 音楽ジャンルへの影響
🌟 ポップ/AOR
- 透明
- 明るい
- きれい
→ 成功の音
🧊 シンセポップ
- 無機質
- 冷静
- デザイン的
→ 感情の制御
🎸 ロック
- 生楽器とDX7の混在
- 音像の均質化
ロックですら「音の汚れ」を失っていく。
🔄 反動としての90年代
🌱 なぜ90sは歪んだのか
90年代初頭に評価されるのは
- ノイズ
- フィードバック
- ローファイ
それは「音が違う」からではなく、「嘘をついていないように聞こえた」から。
🎸 DX7的音楽への拒否
- プリセット=借り物
- 完璧=不信
- きれい=信用できない
この感覚が
- オルタナ
- グランジ
- インディ
を正当化する。
🧠 本質的まとめ
DX7は悪だったのか?
否。 DX7は
- 音楽制作を開放し
- 表現の敷居を下げ
- 新しいポップを可能にした
問題はDX7ではなく、「成功しすぎたこと」。
なぜ同じに聞こえるのか
- 同じ楽器
- 同じプリセット
- 同じ成功モデル
が、 同じ時代精神の中で最適化されたから。
80年代の音楽が似ているのではない。 80年代が「同じ答え」を何度も出したのだ。