完璧主義はいつ音楽を嘘にしたのか - 80年代が到達し、90年代が拒否した「正しすぎる音」
📝 はじめに
本稿は、1980年代後半に確立された音楽制作の完璧主義が、なぜ・いつから 「技術的には正しいが、どこか信用できない音楽」 として受け取られるようになったのかを検証するアラカルト記事である。
結論を先に述べると、 完璧主義が音楽を嘘にした瞬間は、 「正確さ」が「誠実さ」を上回ったときである。
🎚️ 完璧主義とは何を指すのか
🧰 80年代的「正しさ」の定義
80年代後半の制作現場では、以下が美徳になった。
- テンポが揺れない
- ピッチが安定している
- ノイズがない
- 音像が整理されている
- 毎回同じ再現性
これは音楽的価値ではなく「工業製品としての品質指標」。
この価値観自体は、間違っていない。 問題は、それが唯一の正解になった点にある。
🎛️ 技術的転換点:完璧を可能にした道具たち
⏱️ クリック・トラックの常態化
- 全演奏がメトロノームに従属
- 人間の揺れ=ミス
- 編集前提の演奏
「ノリ」は後処理で作るものになる。
🎹 デジタル音源と均質な音色
- DX7以降のデジタル音色
- プリセット文化
- 音の個体差の消失
音色が「人格」ではなく「規格」になる。
🎚️ 編集技術の進化
- パンチイン
- テイクの継ぎ接ぎ
- ミスの抹消
80sは「失敗しない音楽」を初めて量産可能にした。
同時に、 失敗しない=何も賭けていない という感覚が生まれる。
🌍 社会背景:成果主義と音楽の同型化
💼 レーガン期の成功モデル
80年代アメリカ社会は
- 効率
- 再現性
- 勝ちパターン
を重視した。
音楽も同様に、
- ヒットの方程式
- 売れる音
- 安全な構成
が繰り返される。
完璧主義は、80s社会の合理精神そのものだった。
🎶 どこから「嘘」に聞こえ始めたのか
🧍 リスナー側の変化
80年代後半、リスナーは
- 音の良さ
- 上手さ
- 洗練
を理解し尽くした。
理解された瞬間、魔法は解ける。
「またこの音か」 「またこの展開か」 という感覚が、 完成度そのものを疑わせる。
🎸 表現と感情の乖離
- 悲しい歌なのに音は完璧
- 怒りを歌うのにノイズがない
- 苦しみが計算されている
感情が“演出”として聞こえ始める。
ここで音楽は、 上手に作られた感情の模型になる。
🔄 決定的転換点(1987–1989)
🎤 対抗言語の出現
80年代末、評価され始めるのは:
-
荒い音
-
不安定な歌
-
ノイズ
-
失敗を含んだテイク
-
Pixies
-
Sonic Youth
-
Public Enemy
「下手に聞こえる」ことが、誠実さの証明になる。
🌱 なぜ90年代は「汚い音」を選んだのか
🎸 技術への不信
- きれい=加工
- 完璧=操作
- 上手=嘘
という感覚。
🧠 信頼の再定義
90年代における「本物」とは:
- 失敗している
- 取り繕っていない
- 制御されていない
これは反知性ではなく、**反・過剰最適化**である。
🧩 結論:完璧主義はいつ嘘になったのか
❌ 嘘になった瞬間
- 完璧であることが
- 表現の目的ではなく
- 自己証明になったとき
音楽は 「正しい」けれど「信じられない」 存在になる。
⭕ 本当の問題
完璧主義そのものではない。 問題は、 不完全さを許容しない構造が 音楽を一色に塗り潰したこと。
感情まで最適化されたとき、音楽は嘘になる。
🧠 最後に
80年代は、
- 音楽を完璧に作れることを証明した。
90年代は、
- 完璧である必要はないと示した。
音楽が再び信用を取り戻すために、 一度、下手である必要があった。