9.11後、なぜロックは直接怒れなかったのか - 愛国・沈黙・自己検閲の時代
はじめに
本稿は、2001年9月11日以後のアメリカ社会において、なぜロックが90年代のように直接的な怒りや政治批評を表現できなくなったのかを整理する。 重要なのは「ミュージシャンが臆病になった」という説明ではない。 怒りを表現すること自体が、社会的に高リスクな行為へ変質したという構造の変化である。
🌍 社会背景:9.11が生んだ「沈黙の同調圧力」
🧭 悲劇直後のアメリカ社会
9.11は単なるテロ事件ではなく、国家アイデンティティの危機だった。
- 国全体が「被害者」になる
- 怒りは外部(テロリスト)へ一斉に向けられる
- 内部批判は「分断」と見なされやすくなる
この時点で「政府批判=犠牲者への冒涜」と短絡されやすい空気が形成された。
🧭 愛国心の可視化
- 星条旗の大量掲揚
- “Support Our Troops” のスローガン
- メディアの自主規制とトーン統一
これは法的検閲ではなく、社会的検閲だった。
🎸 ロックが直面したジレンマ
🧭 90sロックの前提は崩れた
90年代のロック(グランジ/オルタナ)は、
- 権威への不信
- 皮肉
- 破壊衝動
を正面から表現できた。 しかし9.11後、それらは不謹慎・反社会的と受け取られるリスクを伴う。
怒りの対象が「国家」や「体制」から外れることが許されなくなった。
⚠️ 実例:発言した者がどうなったか
🧭 Dixie Chicks事件
- 2003年、イラク戦争を批判
- 即座にラジオ局から排除
- 不買・抗議運動が発生
これは業界全体への明確な「見せしめ」になった。
🧭 ロック側への心理的影響
- 発言しない方が安全
- 曖昧にしておく方が長く活動できる
- 音楽そのものに矛先を向ける
この空気は、ジャンル全体に波及した。
🎶 結果①:怒りは「形式」へ退避した
🧭 ガレージ・ロック・リバイバル
-
The Strokes
-
The White Stripes
-
歌詞は抽象的
-
社会批評を回避
-
代わりに「音の強度」を回復
ロックは「何を言うか」ではなく「どう鳴るか」に回帰した。
🎶 結果②:怒りは「内面」へ向かった
🧭 エモ/ポスト・ハードコア
-
Jimmy Eat World
-
My Chemical Romance
-
社会ではなく「自分の感情」を語る
-
不安・喪失・孤独の表現
-
政治的含意を感情に変換
これは逃避ではなく、表現可能領域の再設定だった。
🎤 対照例:ヒップホップはなぜ語れたのか
- Eminem
- OutKast
ヒップホップは、
- 元々体制外の語り口
- 個人語り・誇張・キャラクター性
を持っていたため、 ロックよりも政治性を間接化しやすかった。
00s前半、社会批評の主導権は静かにロックからヒップホップへ移動した。
🧠 本質:怒れなかったのではなく、怒る場所が消えた
- 国家は「被害者」になった
- 批判は分断と見なされた
- ロックの得意技(直接批判)が封じられた
結果としてロックは、
- 過去の形式へ戻る
- 内面へ潜る
という二択を迫られた。
これはロックの敗北ではなく、社会条件の変化への適応だった。
🧠 結論:沈黙は臆病さではない
9.11後のロックが直接怒れなかったのは、
- 表現力の低下ではなく
- 勇気の欠如でもなく
- 怒りを引き受ける社会的空間が消失したため
である。
この抑圧された怒りは、 次のテーマ――「怒り」から「不安」への感情転換へとつながっていく。