メインコンテンツへスキップ

🌾 改革の背景②―天明の大飢饉と社会不安

📝 はじめに

本記事では、寛政の改革が不可避となった経済的・社会的背景として、天明の大飢饉(1782–1788)が社会構造に与えた影響を整理する。 天明の大飢饉は単なる食糧不足ではなく、農村・都市・政治秩序を同時に揺るがした構造的危機であり、寛政改革の直接的な土壌となった。


🌧️ 天明の大飢饉(1782–1788)の実態

天明の大飢饉は、以下の要因が重なって発生した長期的災害である。

  • 冷害・長雨による凶作
  • 浅間山噴火(1783年)による降灰被害
  • 疫病の流行と労働力低下

特に東北・関東北部では被害が深刻で、 数十万人規模の餓死者が出たと推定されている。

天明の大飢饉は「数年にわたって断続的に続いた」点が特徴で、単年災害ではなく回復不能なダメージを地域社会に与えた。


🚜 農村の荒廃と人口流動

飢饉の長期化は、農村の生産基盤を根底から破壊した。

  • 農具・種籾の売却
  • 年貢未納による土地喪失
  • 百姓の逃散・欠落

結果として、村落共同体そのものが維持できなくなる地域が続出する。

百姓が土地を離れることは、幕府にとって年貢徴収システムの崩壊を意味した。

この人口流動は農村内部にとどまらず、 多くの困窮民が江戸や大坂といった都市部へ流入していく。


🔥 百姓一揆・打ちこわしの頻発

生活の破綻は、社会的抵抗として顕在化する。

  • 年貢減免要求を伴う百姓一揆
  • 米屋・豪商を標的とした打ちこわし
  • 武力を伴う集団行動の増加

これらは突発的暴動ではなく、 生存を賭けた経済的要求行動であった。

天明期の一揆・打ちこわしは、価格・流通への直接介入を目的とするものが多く、社会の緊張度の高さを示している。

幕府は鎮圧を行う一方で、 従来の統治方法が限界に達していることを否応なく認識させられた。


🏙️ 江戸への流民集中と治安問題

農村から都市への人口流入は、江戸の社会構造にも深刻な影響を与えた。

  • 日雇い労働の過剰供給
  • 無宿人・浮浪者の増加
  • 盗賊・犯罪の増加

都市は本来、消費地であり、 自立的に人口を養える構造ではない

江戸への流民集中は、都市治安の悪化と政治不安の可視化という二重の問題を引き起こした。

この事態は、単なる警察的対応では解決できず、 人口・土地・生産を再結合させる政策が必要とされた。


🔁 社会構造から見た改革の必然性

以上の状況から、幕府が直面していた課題は明確である。

  • 農村を再建し、年貢基盤を回復すること
  • 流民を減らし、都市の過密と不安を抑制すること
  • 社会秩序を「力」ではなく「制度」で立て直すこと

これは、田沼政治の路線修正という次元を超え、 幕府統治の持続可能性そのものの問題であった。

寛政の改革は、天明の大飢饉によって露呈した社会構造の歪みを是正するための制度的対応として不可避だった。


🔎 小まとめ

  • 天明の大飢饉は長期・複合型災害であり、農村社会を破壊した
  • 農村荒廃は人口流動を生み、都市の治安問題へ波及した
  • 一揆・打ちこわしは社会不安の表出であり、鎮圧だけでは解決できなかった
  • 寛政の改革は、こうした構造的危機への必然的対応として始動した

次の記事では、これらの危機に対して幕府が取った具体的な財政再建策を検討する。