⚔️ 外圧の常態化
はじめに
本記事では、幕末以前から進行していた「外圧の常態化」を整理する。 一般に幕末の危機はペリー来航から始まったように語られがちだが、実際にはそれ以前から、幕府は断続的かつ持続的な対外圧力に晒され続けていた。
問題の本質は、 外圧そのものではなく、それに対応できない政治体制が固定化していたことにある。
🚢 異国船来航の増加
18世紀末以降、日本近海への外国船来航は明確に増加していた。
- ロシア船・イギリス船・アメリカ船の接近
- 通商要求・補給要求・測量目的の来航
- 捕鯨船による寄港・接触の常態化
これらは突発的事件ではなく、 世界的な海洋進出と通商拡大の流れの中で必然的に生じた現象である。
重要なのは、幕府が「初めての出来事」としてペリー来航を迎えたわけではない点である。 すでに数十年にわたり、外圧は予告され続けていた。
🧱 海防論争の迷走
外圧の増大に対し、幕府内部では海防をめぐる議論が活発化したが、結論には至らなかった。
- 開国か鎖国維持か
- 武力防衛か交渉重視か
- 沿岸警備の強化か、体制維持優先か
これらの論点は整理されることなく、
- 意見具申の乱立
- 方針の頻繁な転換
- 現場への丸投げ
という形で処理されていく。
海防論争は活発だったが、それは意思決定が行われていたことを意味しない。 議論が多いことと、決断があることは別である。
⚖️ 危機認識と実行力の乖離
幕府中枢には、外圧が重大な危機であるという認識自体は存在していた。
- 海外情勢の情報収集
- 異国船対応マニュアルの整備
- 海防意識の啓蒙
しかし、それらは実行力を伴わなかった。
- 財政難による軍備強化の不可能性
- 諸藩への強制力不足
- 政治的責任を負う主体の不在
結果として、
- 危機は「理解されているが、対処されない」
- 準備は進むが、実行されない
- 時間だけが消費される
という状態が固定化する。
この乖離こそが致命的だった。 「分かっているのに動けない」という状況は、統治体制の死角を露呈させる。
🔎 まとめ ― 外圧は「例外」ではなくなった
- 外国船来航はすでに日常化していた
- 海防論争は決断を生まなかった
- 危機認識と実行力の断絶が続いた
この段階で、外圧はもはや「突発的危機」ではない。 対応不能な問題が恒常的に存在する状態こそが、幕府統治を内部から蝕んでいった。
次の記事では、こうした状況が 「🧠 支配正統性の崩れ」 へとどのように連鎖していくかを扱う。