🌱 農村復興政策―囲米・旧里帰農令
📝 はじめに
寛政の改革において、農村復興政策は財政再建・社会安定・統治秩序の回復を同時に担う中核政策であった。天明の大飢饉によって露呈した農村の脆弱性に対し、幕府は「救済」と「統制」を一体化した制度設計で応えようとした。本記事では、囲米制度と旧里帰農令を中心に、その狙いと実態を整理する。
🌾 囲米制度(備蓄米政策)
🏺 制度の概要
囲米(かこいまい)制度とは、平時に米を備蓄し、凶作・飢饉時に放出する制度である。寛政期には、村単位での囲米を制度化・強化し、農村の自助能力を高めることが目指された。
- 村ごとに一定量の米を備蓄
- 凶作時には価格抑制・救済用に放出
- 管理責任は名主・庄屋など村役人
囲米は新制度ではなく、近世を通じて存在した慣行を制度として再強化した点に寛政改革の特徴がある。
🎯 政策意図
囲米制度には複数の狙いがあった。
- 飢饉時の餓死・逃散の防止
- 米価高騰の抑制
- 幕府による直接救済負担の軽減
つまり、国家財政を守りつつ、社会不安を抑える「予防型政策」 であった。
🧑🌾 旧里帰農令の狙い
🏘️ 制度の内容
旧里帰農令とは、都市へ流入した農民や無宿人に対し、出身地(旧里)へ帰還して農業に従事することを奨励・命令する政策である。
- 江戸・大坂など都市部の人口圧縮
- 荒廃農村への労働力回帰
- 年貢基盤の再建
この政策を推進したのが、老中 松平定信 であった。
旧里帰農令は「失業対策」「農村復興」「都市治安対策」を同時に狙った多目的政策である。
🧭 農本主義の具現化
定信の政治思想において、農民は国家の基礎的生産者であり、都市流入は「あるべき秩序」からの逸脱と見なされた。旧里帰農令は、農本主義的国家像を制度として具現化した政策といえる。
📊 効果と現実(成功例・形骸化)
✅ 一定の成功例
- 飢饉直後の一部地域では、囲米が実際に放出され餓死者を抑制
- 農村人口の急激な流出を一時的に抑止
- 村落共同体の再編・統制が進展
短期的には社会不安の沈静化と農村秩序の回復に寄与した。
❌ 現実的な限界
一方で、制度は次第に形骸化していく。
- 備蓄米の管理不全・横流し
- 貧困農民には帰農しても生活基盤がない
- 都市下層労働の需要と矛盾
旧里帰農は経済的合理性を欠く場合が多く、持続的な人口定着には結びつかなかった。
🧱 農村統制の強化という側面
🏛️ 救済と統制の一体化
寛政期の農村政策は、単なる救済ではなく、支配秩序の再構築を強く意識していた。
- 村役人による管理責任の強化
- 人口・米穀・備蓄状況の把握
- 逃散・移動の抑制
囲米・帰農政策は農民の生活を守ると同時に、移動と選択の自由を制限する装置でもあった。
🧭 寛政改革の性格を映す政策
この農村復興政策は、寛政改革全体に共通する特徴―― 「安定を優先し、成長や流動性を抑制する統治」――を最も端的に示している。
🧾 小まとめ
囲米制度と旧里帰農令は、寛政の改革における最重要政策であり、飢饉対策・財政防衛・社会統制を同時に担った。しかしその実態は、短期的安定と引き換えに、経済的柔軟性と持続性を犠牲にするものであった。この緊張関係こそが、寛政改革の成果と限界を理解する核心である。