🧱 近代文学の成立(明治初期)
📝 はじめに
本記事では、日本において「文学」が近代的ジャンルとして成立するために必要だった前提条件を整理する。 明治初期は、作品そのものよりも、文学を可能にする言語・制度・思想が急速に整えられた時期であり、この基盤なしには後の自然主義・モダニズム文学は成立し得なかった。
📖 近代日本における「文学」の誕生
🕰️ 江戸文学との断絶と連続
江戸時代にも多様な「書き物」は存在していた。 読本・洒落本・黄表紙・滑稽本・漢詩文などは高度な技巧と読者層を持ち、決して未成熟ではなかった。
しかし、近代的な意味での「文学(Literature)」とは異なる点がある。
- 実用・娯楽・教訓との未分化
- 作者の内面や個性を中心に据えない
- 社会的評価軸が美学や批評ではなく、流行や教化にあった
明治期に起こった変化は、これらを否定するというより、別の価値軸を上書きする形で進行した。
江戸文学は「未熟だから否定された」のではなく、評価基準そのものが変化したと理解する方が正確である。
🌍 翻訳文学と文明開化の衝撃
明治政府の西洋化政策とともに、大量の翻訳書が流入した。
- 小説・戯曲・哲学書・美学書
- 「文学は人格・社会・現実を描くもの」という新しい定義
- 作者個人の視点や内面を重視する価値観
これにより、日本語で書かれた文章も、 **「何を書くか」だけでなく「どう書くか」**が問われるようになる。
翻訳文学は単なる素材提供ではなく、 文学を成立させる思考枠組みそのものを移植した点に本質がある。
初期翻訳文学は直訳調で読みにくいものも多いが、文体実験の蓄積として重要な役割を果たした。
✒️ 言文一致運動と表現革命
🗣️ 書き言葉の変化がもたらしたもの
明治初期の文章は、以下のように分断されていた。
- 書き言葉:漢文訓読調・和漢混淆文
- 話し言葉:口語日本語
この乖離は、個人の感情・内面・思考の微細な動きを描写することを困難にしていた。
言文一致運動は、単なる「読みやすさ改革」ではない。
- 主体的な「私」を文章に定着させた
- 会話・心理描写・内面独白を可能にした
- 読者と作者の距離を縮めた
結果として、文学は思想や感情を直接扱う装置へと変貌する。
言文一致は、文学の表現可能領域を根本から拡張した改革だった。
📚 坪内逍遥と写実主義
🧠 『小説神髄』の意味
近代文学成立の理論的支柱となったのが、坪内逍遥である。 彼の著作 小説神髄(1885年)は、日本初の本格的文学理論書とされる。
主張の核心は明確だった。
- 勧善懲悪・教訓主義からの脱却
- 人物の性格・心理・行動を現実に即して描く
- 小説を「芸術」として自立させる
これは単なる作風提案ではなく、 「小説とは何か」を再定義する宣言であった。
🪞 写実主義の位置づけ
坪内逍遥の写実主義は、後の自然主義とは異なる。
- 客観的観察を重視するが、冷酷な暴露ではない
- 道徳否定ではなく、道徳の外在化
- 人間理解を目的とする穏健な写実
逍遥の写実主義は、自然主義への橋渡しであり、決して完成形ではなかった。
🧩 まとめ:近代文学成立の三要素
明治初期における近代文学の成立は、以下の三点に集約できる。
-
文学観の転換
- 娯楽・教訓から芸術・表現へ
-
言語形式の革新
- 言文一致による表現力の飛躍
-
理論的支柱の登場
- 坪内逍遥による文学の自覚化
この基盤の上に、次章で扱う写実主義・自然主義文学が展開されていく。