🪦 ① 戦後第一世代 ― 廃墟からの出発(1945–50)
🪦 はじめに
本記事では、敗戦直後に登場した戦後第一世代の文学を扱う。 この世代の文学は、新しい理想や制度を語る以前に、まず「生き残ってしまった自分」をどう引き受けるかという問いから出発した。
焼け跡、敗戦、価値観の崩壊―― それらは抽象的な理念ではなく、身体感覚として作家たちの前に立ちはだかっていた。
🔥 焼け跡と敗戦体験のリアリティ
1945年以降の日本社会は、物理的にも精神的にも「廃墟」であった。
- 都市は焼失し、生活基盤は崩壊
- 食糧難・闇市・浮浪者の氾濫
- 「勝利」を前提にしていた言語の無効化
戦後第一世代の作家たちは、 敗戦を「歴史的事件」ではなく「日常の崩壊」として書いた。
そこには英雄的な再出発も、未来への展望もほとんどない。 あるのは、壊れてしまった世界を前に立ち尽くす個人の姿である。
この時期の文学は「戦争を書く」というより、戦争後を生きてしまった状態を書く文学である。
🏚️ 国家・道徳・英雄像の崩壊
戦前社会を支えていた価値体系は、敗戦によって一気に信用を失った。
- 国家は守ってくれなかった
- 道徳は人を救わなかった
- 英雄は虚構だった
戦後第一世代は、これらを告発するというより、もはや信じられなくなったものとして描写する。
とくに特徴的なのは、 「正しさ」そのものへの不信である。
善悪・忠誠・努力といった言葉が、 現実の前でいとも簡単に崩れ去った経験は、 以後の日本文学に深い影を落とすことになる。
この段階では、まだ「民主主義」や「新しい倫理」は希望としても十分に言語化されていない。
🧠 「生き残ったこと」への罪悪感
戦後第一世代の文学を貫く核心は、 生存そのものに対する後ろめたさである。
- なぜ自分は生きているのか
- 死んだ者と何が違うのか
- 生き続ける資格はあるのか
この問いは、戦争責任の議論とは異なる。 それはより個人的で、逃げ場のない感覚だ。
ここで描かれる罪悪感は、誰かに裁かれる罪ではなく、自分から逃げられない罪である。
📚 代表作家と作品の位置づけ
太宰治
- 『斜陽』 → 没落貴族という形で、戦前的価値の死を可視化
- 『人間失格』 → 社会不適合ではなく、人間として生きること自体への不信を極限まで押し出す
太宰文学は、戦後第一世代の自己崩壊的側面を最も鋭く体現している。
坂口安吾
- 『堕落論』 → 道徳の崩壊を嘆くのではなく、最初から幻想だったと暴く
- 『白痴』 → 理性や善意が通用しない世界のリアリズム
安吾は、戦後第一世代の中で最も理論的に破壊を引き受けた作家と言える。
織田作之助
- 『夫婦善哉』 → 崩壊した世界の中でも続いていく、卑小で俗な生の肯定
太宰・安吾に比べると異色だが、 「それでも生きていくしかない」という感覚を描いた点で、この世代に確実に属する。
織田作は、後の大衆文学・私的リアリズムへの重要な橋渡しとなった。
🪦 本章の位置づけ
戦後第一世代の文学は、 戦後文学の中でも最も暗く、閉じた地点にある。
しかし同時に、 ここで徹底的に価値が破壊されたからこそ、 次の世代は「主体」「民主主義」「社会」を語ることができた。
👉 次章では、 この廃墟の上で、それでも「考え、選び、語ろうとする文学」 がどのように現れてくるのかを見ていく。