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🧩 ④ 大衆化・多様化する文学(1970年代以降)

🧩 はじめに

本章では、1970年代以降の日本文学を、 「中心を持たない文学史」 として整理する。

高度経済成長が一段落し、 戦争・復興・民主主義といった大きな物語が力を失ったあと、 文学はもはや共通の問いや使命を持たなくなる。

この時代の特徴は、 「何を書くべきか」ではなく、 「文学とはそもそも何なのか」 が拡散していく点にある。


🔀 純文学と大衆文学の境界の曖昧化

戦後文学の前半では、 純文学と大衆文学は比較的はっきり区別されていた。

  • 純文学:思想・倫理・表現の探究
  • 大衆文学:娯楽・物語性・読みやすさ

しかし1970年代以降、この区別は急速に意味を失う。

  • 純文学が物語性を取り込む
  • 大衆文学が内面や思想を扱う
  • 評価軸が「高尚/低俗」では機能しなくなる

この時代以降、文学はジャンルではなく読み方によって成立する。


🎭 エンタメと思想の接近

この時代の文学は、 軽さと深さを同時に成立させようとする

  • 重い思想を前面に出さない
  • 難解さを売りにしない
  • しかし、空虚・孤独・死といった主題は持続する

それは、 1960年代文学が抱えた「空虚」を、 別のトーンで引き受け直す試みとも言える。

思想は消えたのではなく、目立たなくなった


👥 読者の多様化と文学の分散

1970年代以降、読者層は決定的に変化する。

  • 高等教育の大衆化
  • メディア環境の多様化
  • 「教養としての文学」の後退

その結果、文学は 「社会を代表する言葉」ではなく、 特定の読者に向けた複数の言葉へと分裂する。

もはや文学は、社会全体を代弁する装置ではない。


📚 代表作家・作品の位置づけ

1973年のピンボール(村上春樹)

  • 物語性の軽さと空虚感
  • 歴史や政治から距離を取る語り
  • 意味の欠如を前提にした世界観

村上春樹文学は、 戦後文学の重さを意図的に回避した地点から始まる。 それは逃避であると同時に、 「もはや重さが共有されない時代」への適応でもあった。

村上文学は、日本文学を世界市場に接続した最初の成功例でもある。


岬(中上健次)

  • 被差別部落という具体的共同体
  • 血縁・土地・暴力の濃密な描写
  • 抽象化されない歴史の持続

中上文学は、 拡散する文学状況の中で、 「場所と身体に縛られた物語」 を徹底的に掘り下げた。

中上は、戦後文学が避け続けた日本内部の断層を正面から描いた。


キッチン(吉本ばなな)

  • 喪失と再生を日常語で描写
  • 家族・死・孤独のミニマルな表現
  • 若い読者層への強い浸透

吉本ばなな文学は、 文学が「優しい言葉」で成立しうることを示した。 それは思想の放棄ではなく、 思想の語り方の更新である。

ここで文学は、読むことで救われる体験へと重心を移す。


🧩 本章の位置づけ

1970年代以降の文学は、 もはや一つの系譜や価値観に回収できない。

  • 中心は存在しない
  • 正統も異端もない
  • 複数の文学が並行して存在する

👉 次章(戦後文学総括)では、 この拡散状態そのものを前提として、 それでも「戦後文学」と呼びうるものは何だったのかを総合的に整理する。