🌸 国学と「日本」意識
はじめに
江戸時代後期に展開した国学は、単なる学問潮流ではなく、「日本とは何か」を文化的に問い直す試みであった。本記事では、国学がどのように古典回帰を通じて独自の価値観を形成し、近代的な日本意識の伏線となっていったのかを整理する。ここで扱うのは、あくまで政治化以前の国学である。
📖 古典回帰という知的運動
国学の出発点は、中国思想(儒学・仏教)を通して形成された知の枠組みに対する違和感であった。国学者たちは、
- 『古事記』『日本書紀』
- 『万葉集』
- 平安期の文学・語彙
といった日本固有の古典へと立ち返ることで、外来思想に覆われる以前の日本精神を掘り起こそうとした。
国学は「排外主義」ではなく、「自国文化の再読」によって自律性を確保しようとする学問だった。
この姿勢は、学問の対象を未来ではなく「過去」に置く点で、きわめて江戸的である。
🗣️ 神話・言語への関心
国学の大きな特徴は、神話や言語への強い関心にある。
- 神話:道徳教材ではなく、文化の根源として読む
- 言語:漢語以前の「やまとことば」を重視
- 文学:理屈より感情・情緒を尊重
とくに『古事記』研究を通じて強調されたのが、「もののあはれ」という感性である。これは、善悪や合理性よりも、感じ取る力そのものを価値とする態度を意味した。
国学は、知性より感受性を、日本語より日本語らしさを重視した。
🌱 文化的ナショナリズムの形成
国学は、国家や政治を直接論じる思想ではなかった。しかし、
- 日本には日本固有の歴史がある
- 日本語には日本独自の感情構造がある
- 日本文化は中国文化の派生ではない
という認識を広めた点で、文化的ナショナリズムの基盤を形成した。
ここで重要なのは、国学が「日本は優れている」と主張したのではなく、「日本は異なる」という自己認識を確立した点にある。
この差異の強調は、後に政治思想へ転化しうる危うさも内包していた。
⏳ 政治化以前の段階
江戸期の国学は、基本的に学問・文芸・思想の領域にとどまっていた。
- 幕府体制の正統性を直接否定しない
- 政治改革を目的としない
- 内面・文化の純化を志向する
この段階では、国学はむしろ儒学的秩序を補完する存在であり、現実政治から距離を保っていた。
国学が政治思想へと変質するのは、幕末という非常事態を待つ必要がある。
🔎 小まとめ
江戸時代の国学は、
- 古典回帰によって自国文化を再発見し
- 言語・感性を重視する価値観を提示し
- 「日本」という文化単位を静かに輪郭づけた
思想であった。
それは近代国家思想の直接的起源ではなく、近代を受け止めるための精神的準備である。国学は、江戸社会の内部から生まれた、きわめて穏健で内省的な「日本意識」だった。