スウェーデン絵画展 予習ノート
🧭 はじめに
本記事は、愛知県美術館で開催される「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」を鑑賞するための予習ノートである。
展覧会は、19世紀末から20世紀初頭にかけて成立したスウェーデン近代絵画を中心に、画家たちが外国で獲得した技法を使いながら、自国固有の自然、生活、歴史、精神性を表現していく過程を紹介する。
鑑賞の中心となる問いは、次のように整理できる。
フランスやドイツから輸入した美術の技法を使い、スウェーデンの画家たちは何を「スウェーデンらしいもの」として描いたのか。
作品を単に「上手い」「きれい」と評価するのではなく、
- 何が描かれているか
- 何が省略されているか
- 光や色がどのような感情を生んでいるか
- 自然や日常がどのように国のイメージへ変換されたか
を意識して見ることを目的とする。
この展覧会の中心は、画家の技術が直線的に進歩していく物語ではない。写実、日常生活、象徴主義、風景画など、スウェーデン独自の美術を作ろうとした複数の試みを比較する展覧会である。
🗺️ 展覧会全体の見取り図
展覧会は、スウェーデン近代絵画が成立するまでの流れを6章で構成している。
| 章 | 主な内容 | 鑑賞上の役割 |
|---|---|---|
| 第1章 | ドイツ・イタリアを参照した初期風景画 | 外国の様式で自然を描く段階 |
| 第2章 | パリで学んだレアリスムと自然主義 | 客観的に観察し、描写する技術の獲得 |
| 第3章 | グレ=シュル=ロワンの芸術家村 | 農村・自然・日常を戸外で描く実験 |
| 第4章 | 帰国後の日常生活と人物 | 「スウェーデンらしい暮らし」の形成 |
| 第5章 | 神話、幻想、象徴主義、内面世界 | 見える現実を越えた精神性の表現 |
| 第6章 | 北欧の自然と薄明の風景 | 独自のスウェーデン風景画の成立 |
全体の流れを簡略化すれば、次のようになる。
外国の様式で描く → フランスで現実を見る技術を学ぶ → 外国の農村で自然と日常を描く → 帰国して自国の日常と自然を見直す → 現実を感情や象徴によって変形する → スウェーデン独自の風景表現を作る
各作品を孤立して見るのではなく、一つ前の章と何が変わったかを考えると、展覧会全体の意図をつかみやすい。
🌍 技法は輸入し、描く内容はスウェーデンに求めた
スウェーデンの画家たちは、国内だけで独自の美術を生み出したわけではない。
初期にはイタリアやドイツへ赴き、19世紀後半には多くの若い画家がパリを目指した。そこでレアリスム、自然主義、印象派、象徴主義など、当時のヨーロッパ美術の新しい潮流に接した。
しかし、外国の様式をそのまま模倣するだけでは、スウェーデン独自の美術にはならない。
彼らはやがて、
- スウェーデンの森
- 湖や群島
- 長い夏の夕暮れ
- 冬の月明かり
- 家族や友人
- 農村生活
- 民俗文化
- 神話や伝承
へ題材を移していく。
この関係は、次のように捉えると分かりやすい。
技法はヨーロッパの共通語だが、語られる内容はスウェーデン固有のものだった。
ただし、帰国後の画家たちは単にフランスの技法でスウェーデンの景色を描いたのではない。次第に客観的な写実から離れ、色彩や構図を単純化し、風景へ感情や精神性を重ねるようになる。
「フランスで絵が上手くなり、帰国後に完成した」という単純な成長物語として見ない方がよい。重要なのは、写実の技術を身につけた後、あえて現実をそのまま描かなくなったことである。
🏛️ 第1章――スウェーデン近代絵画の夜明け
🌄 外国の風景画様式から始まる
スウェーデンでは18世紀に美術アカデミーが成立し、フランス式の伝統的な美術教育が行われていた。
19世紀半ばになると、画家たちは風景画の先進地だったイタリアやドイツへ向かった。特にドイツのデュッセルドルフでは、ロマン主義的な風景画が発展していた。
この時期の自然は、日常的な生活空間というより、
- 荒々しい海
- 広大な景観
- 崇高な自然
- 歴史や神話の舞台
として描かれる傾向が強い。
出品作には、ニルス・ブロメール《草原の妖精たち》、マルクス・ラーション《荒れ狂うボーヒュースレーンの海》、エードヴァッド・バリ《夏の風景》、アルフレッド・ヴァールバリ《ヴァックスホルムの眺め》などが含まれる。
🔍 鑑賞の観点
第1章では、「スウェーデンの風景が描かれているか」だけでなく、次の点を見る。
- 自然は現実の生活空間として描かれているか
- 人間を圧倒する劇的な舞台になっているか
- 画面に物語性があるか
- 空、海、山が誇張されていないか
- 後の第6章の風景と比べて、光の扱いがどう違うか
第1章と第6章には、どちらにも海、湖、森林、土地が登場する。
しかし、第1章では自然がロマン主義的な壮観として描かれ、第6章では自然が個人の感情や国民的なアイデンティティを背負うようになる。
第6章まで見終えた後、第1章の風景を思い出すとよい。同じ自然が、外国の風景画様式の題材から、スウェーデン固有の精神を表すものへ変化したことが見えてくる。
🇫🇷 第2章――パリを目指して
👁️ 「見る技術」を学ぶ
1880年代、若いスウェーデン人画家たちは、王立美術アカデミーの古い教育に不満を抱き、パリへ向かった。
当時のパリでは印象派が登場していたが、スウェーデン人画家が特に強く影響を受けたのは、レアリスムと自然主義だった。
彼らが学んだのは、
- 人物を理想化しない
- 労働や日常を題材にする
- 戸外の光を観察する
- 目の前の対象を正確に描写する
- 現実の社会や生活を画題として認める
という姿勢である。
出品作には、ヒューゴ・ビリエル《モンマルトルの小道》、カール・フレードリック・ヒル《花咲くリンゴの木》、エリーサベット・ヴァーリング《ストックホルム群島で読書する女性》、ヒューゴ・サルムソン《落穂拾いの少女》などが含まれる。
🧑🌾 バスティアン=ルパージュの影響
スウェーデン人画家たちは、フランスの画家ジュール・バスティアン=ルパージュに強く惹かれた。
彼の絵では、農民や労働者が過度に美化されず、それでいて詩情を失わずに描かれていた。
ここで重要なのは、単なる写真のような正確さではない。
- 人物の生活感
- 戸外の自然光
- 地面や草木の質感
- 飾らない姿勢
- 静かな感情
を同時に成立させる点にある。
🔍 鑑賞の観点
第2章では、次の点を見る。
- 人物が英雄や理想像ではなく、普通の人として描かれているか
- 労働や日常がどのように画題になっているか
- 光が人物を劇的に演出しているか、自然に照らしているか
- 背景と人物のどちらが重視されているか
- 後の作品と比べて、色や形がどの程度現実に忠実か
この時期に獲得された写実力は、後に放棄されたのではない。画家たちは正確に描けるようになった上で、どこを省略し、どこを感情に合わせて変形するかを選ぶようになった。
🌿 第3章――グレ=シュル=ロワンの芸術家村
🏡 フランスの農村が帰国後への実験場になった
グレ=シュル=ロワンは、パリの南東に位置する農村である。
1880年代前半、スウェーデンをはじめ各国の芸術家がこの村へ集まり、共同生活を送りながら戸外制作を行った。
ここで描かれたのは、
- 川辺
- 田園
- 村の道
- 店
- 庭
- 身近な人物
- 鳥や動物
などである。
出品作には、カール・ノードシュトゥルム《グレ=シュル=ロワン》《画家の婚約者》、カール・ラーション《「ロココ」のための習作》、イエーオリ・パウリ《レース編み》、ブリューノ・リリエフォッシュ《カケス》、ニルス・クルーゲル《馬のいるフランスの田舎道》などがある。
🔄 第3章は「外国編」ではない
グレ=シュル=ロワンでの経験は、帰国後のスウェーデン絵画の準備段階になった。
流れを整理すると、
パリで都市と近代美術に触れる → フランスの農村で自然と日常を描く → スウェーデンへ帰国して、自国の日常と自然を描く
となる。
画家たちは外国の村で、身近な生活や自然を描く方法を試していた。
🔍 鑑賞の観点
第3章と第4章を比較し、次の点を見る。
- 題材だけがフランスからスウェーデンへ変わったのか
- 色彩や構図も変化しているか
- フランスの光と北欧の光はどう違うか
- 人物と自然の距離感は同じか
- 帰国後の作品に残っているフランス的な要素は何か
第3章は、パリとスウェーデンの間にある重要な接続点である。ここを意識すると、第4章以降が突然始まったのではなく、フランスでの試行から連続していることが分かる。
🏡 第4章――日常のかがやき
🇸🇪 「スウェーデンらしい暮らし」を描く
1880年代末になると、多くの画家がスウェーデンへ帰国した。
帰国の背景には、郷愁や都会生活への疲れだけでなく、「スウェーデン独自の芸術を作りたい」という意識があった。
彼らは、
- 家族
- 友人
- 子ども
- 家事
- 読書
- 音楽
- 手紙
- コーヒー
- 編み物
- 家具や室内
など、身近な日常生活を描いた。
カール・ラーションの《カードゲームの支度》《アトリエ》《手紙書き》、エルサ・バックルンド=セルスィング《コーヒー・タイム》などが出品される。
ハンナ・パウリ《グランドピアノにて》、ファンニ・ブラーテ《陽光》、エーヴァ・ボニエルによる家政婦の肖像、アンデシュ・ソーンによる音楽や編み物を題材とした作品も含まれる。
🪑 カール・ラーションと生活のデザイン
カール・ラーションの作品は、単なる家族の記録として見るだけでは不十分である。
作品には、
- 家具の配置
- 壁紙
- 食器
- 植物
- 窓
- 光の入り方
- 人物の配置
- 色彩の統一
まで、生活空間全体が構成されている。
そこには「現実の家族生活」とともに、
このように暮らしたい このような家庭として見られたい
という理想像が含まれている。
現在の北欧インテリアや、生活そのものを美しく整えるという価値観にもつながる。
⚖️ 幸福な日常をそのまま信じない
家庭の温かさや穏やかな日常は、自然発生的に画面へ現れたとは限らない。
画家は、
- 不要な物を省く
- 人物を適切な位置へ配置する
- 光が美しく入る時間を選ぶ
- 家事を心地よい営みとして描く
- 家族関係を調和的に見せる
ことで、理想的な生活像を作っている可能性がある。
「北欧では昔から実際にこのような幸福な暮らしが営まれていた」と即断しない方がよい。作品は生活の記録であると同時に、理想の生活を設計し、社会へ示すメディアでもある。
👩🎨 女性画家を見る観点
出品作には、アンナ・ノードグレーン、エリーサベット・ヴァーリング、ハンナ・パウリ、ファンニ・ブラーテ、エーヴァ・ボニエル、ミーナ・カールソン=ブレードバリなど、複数の女性画家の作品が含まれる。
題材も、
- 車窓の女性
- 読書する女性
- ピアノ
- 家政婦
- 陽光
- 女性画家の肖像
と多様である。
「女性ならではの柔らかな視点」と一括りにせず、次の点を比較する。
- 誰が見る側で、誰が見られる側か
- 女性が受動的なモデルか、活動する主体か
- 室内が閉じ込める場所か、自立した仕事や生活の空間か
- 男性画家が描いた女性像と何が違うか
- 女性画家同士の肖像に、職業人としての意識が表れているか
🌌 第5章――現実のかなたへ
🧠 客観的な現実だけでは足りなくなる
帰国した画家たちの一部は、目に見えるものを忠実に描くことより、自分の感情、記憶、精神状態を表現することへ関心を移した。
これは、
- 科学の発展
- 近代化
- 合理主義
- 都市化
への反動でもあり、同時代のヨーロッパに広がった象徴主義と呼応している。
題材には、
- 神話
- 文学
- 宗教
- 民話
- 水の精
- 幻想的存在
- 不安
- 恍惚
- 荒涼とした風景
が用いられる。
🧚 第1章の妖精と第5章の幻想を比較する
第1章にはニルス・ブロメール《草原の妖精たち》があり、第5章にはアーンシュト・ヨーセフソン《水の精》、ヨン・バウエル《扉を開けたラッブモール》などがある。
どちらも幻想的な題材だが、意味は同じではない。
第1章では、神話や妖精がロマン主義的な物語の題材として描かれる。
第5章では、幻想的な存在が、
- 個人の内面
- 不安
- 無意識
- 社会の合理化への違和感
- 自国の精神的な伝統
を象徴する。
これは過去への単純な回帰ではなく、近代化を経験した後に現れた幻想である。
🌊 アウグスト・ストリンドバリ
劇作家として知られるアウグスト・ストリンドバリからは、
- 《目印のないブイ、嵐の海》
- 《ほうき状のブイ、嵐の海》
- 《ワンダーランド》
- 《海辺の風景》
が出品される。
これらは「著名な劇作家が余暇に描いた絵」として見るべきではない。
正確な風景描写よりも、
- 荒い絵肌
- 偶然にできた形
- 海と空の曖昧な境界
- 不安定な構図
- 何が描かれているか判別しにくい部分
が重要になる。
同じ荒れた海でも、第1章のマルクス・ラーション《荒れ狂うボーヒュースレーンの海》と比較するとよい。
前者が「荒れる自然」を劇的に描いているのに対し、ストリンドバリでは、画面そのものが荒天のように不安定になっている可能性がある。
🔍 鑑賞の観点
- 風景を描いているのか、精神状態を描いているのか
- 具体的な物の形はどこまで保たれているか
- 不自然な色や形がどんな感情を生むか
- 絵具の偶然性が利用されているか
- 第2章の客観的な描写からどれだけ離れているか
第5章は展覧会の流れから外れた例外ではない。写実を学んだ画家たちが、見えるものだけでは自国や自己の精神を表せないと考えた結果として位置づけられる。
🌅 第6章――自然とともに
🏞️ スウェーデンの自然は「発見」された
19世紀末、画家たちはスウェーデン国内の森林、湖、原野、海岸、山岳地帯へ改めて目を向けた。
自然そのものは以前から存在していたが、それが最初から「スウェーデンを象徴する美しい風景」と考えられていたわけではない。
画家たちは、
- どの場所を描くか
- どの季節を選ぶか
- どの時間帯を選ぶか
- どの色を強調するか
- 何を省略するか
によって、「スウェーデンらしい自然」を作り上げた。
この意味で風景画は、客観的な地理の記録ではなく、
国が自分自身をどのような場所として理解するかを作る行為
でもある。
日本で富士山、桜、農村、雪景色などが「日本らしい風景」として繰り返し描かれてきたことにも似ている。
🌘 明るい昼光から薄明へ
第2章と第3章では、明るい戸外の光が多く描かれる。
一方、第6章では、
- 月の出
- 日没後
- 夏の夜
- 冬の夕暮れ
- 月明かり
- 夜の訪れ
といった、昼でも完全な夜でもない時間帯が増える。
出品作には、リッカッド・バリ《月の出、ウースビホルムの夏の夜》、グスタヴ・フィエースタード《冬の月明かり》《川辺の冬の夕暮れ》などがある。
さらに、エウシェーン・ヤーンソン《5月の夜》、ニルス・クルーゲル《夜の訪れ》、オット・ヘッセルボム《夏の夜(習作)》など、薄明や夜を扱う作品が続く。
☀️ 日本と異なる光を見る
日本は湿度が高く、遠景が霞みやすい。
一方、スウェーデン絵画では、
- 太陽高度の低さ
- 長い影
- 澄んだ空気
- 長時間続く夕暮れ
- 青、紫、灰色、緑の微妙な差
- 雪や水面に反射する光
が重要になる。
ただし、「北欧だから青い」「寒い国だから暗い」と単純化してはいけない。
注目すべきなのは、光量の少ない状況で、画家がどれほど多くの色の差を見いだしているかである。
🔍 鑑賞の観点
- 輪郭は明瞭か、薄明の中へ溶けているか
- 空と地面の明度差は大きいか
- 青、緑、紫、灰色がどのように使い分けられているか
- 水面は空を反射しているか
- 人物がいなくても、風景に感情を感じるか
- 景色は実在する場所の記録か、画家の心理的な風景か
- 第1章の劇的な自然と何が違うか
第6章では、作品名を先に読む前に画面を見て、季節と時刻を推測するとよい。その後で題名を確認すると、画家が光だけでどこまで時間を伝えているかが分かる。
🐦 ブリューノ・リリエフォッシュ――動物の側から自然を見る
ブリューノ・リリエフォッシュは、鳥や野生動物を描いた画家として知られる。
本展では、《カケス》《4種の鳥の習作》《そり遊び》《ケワタガモ》《ダイシャクシギ》などが出品される。
単に鳥の種類を正確に描いた作品として見るのではなく、
- 動物が背景から浮いているか
- 背景へ迷彩のように溶け込んでいるか
- 視点が人間の高さか、動物に近い高さか
- 自然が美しい景色か、生存の場か
- 動物の動きに緊張感があるか
を見る。
近代風景画が、人間の視点から国土を発見する営みだとすれば、リリエフォッシュは自然を動物の側から見直しているとも考えられる。
アンデシュ・ソーンが描いた《画家ブリューノ・リリエフォッシュ》も出品されるため、動物画だけでなく、同時代の画家から彼がどのような人物として見られていたかも比較できる。:contentReference[oaicite:20]{index=20}
🎨 「プロの絵」をどう見るか
⚖️ 上手さと価値は一致しない
プロの絵は必ずしも、
- デッサンが正確
- 細部が緻密
- 写真のように見える
- 技法が難しい
- 制作時間が長い
という特徴を持つわけではない。
専門的な作品の価値は、
- 何を問題として選んだか
- 同時代の標準と何が違うか
- 一連の作品に一貫性があるか
- 既存の様式をどう変えたか
- 後の美術に何を残したか
によって評価される。
一枚だけを見て、プロと上手な素人を判別することが難しい場合もある。
🧩 制作経験と鑑賞経験は別の能力
自分で絵を描く経験があれば、
- 構図
- 色の配置
- 明暗
- 筆致
- 形の省略
- 視線誘導
に気づく基礎はある。
しかし、美術館で作品を見るには、完成した画面から、
- どこが意図的か
- 何を省いたか
- どこを誇張したか
- どの美術運動へ反応したか
- なぜこの題材を選んだか
を逆算する必要がある。
これは制作技術とは別に、比較鑑賞によって育つ能力である。
絵を描けることと、美術史上の価値を判断できることは同一ではない。ただし制作経験があれば、画家の操作を画面上の具体的な事実へ分解しやすい。
👁️ 展示室での実践的な見方
1️⃣ 最初の印象を短い言葉にする
解説や作品名を読む前に、数秒だけ作品を見る。
感じたことを、
- 静か
- 冷たい
- 不穏
- 温かい
- 懐かしい
- 平面的
- 透明
- 重い
- 軽い
など、一語か二語で捉える。
正解を当てる必要はない。
2️⃣ 感想を画面上の事実へ分解する
「静か」と感じたなら、なぜ静かなのかを探す。
例として、
- 水平線が多い
- 明暗差が小さい
- 人物が動いていない
- 色数が少ない
- 輪郭が単純
- 画面外へ向かう動きがない
- 筆致が目立たない
などが考えられる。
「不穏」と感じた場合は、
- 地平線が傾いている
- 形が判別しにくい
- 暗部が大きい
- 空間の奥行きが不自然
- 色が現実と異なる
- 視線の逃げ場がない
といった要因を探す。
3️⃣ 何が省略されているかを見る
画家の技量は、描き込んだ細部だけでなく、省略の仕方にも表れる。
近づくと、
- 筆跡が粗い
- 形が崩れている
- 色が単純
- 細部が描かれていない
ように見えても、離れると空間や光が成立する作品がある。
これは、画家が何を残せば視覚的な効果が成立するかを理解しているためである。
4️⃣ 近くと遠くの両方から見る
推奨する見方は次の通りである。
- 数メートル離れて、画面全体の光と構図を見る
- 近づいて、筆致、絵具の厚さ、色の重なりを見る
- 再び離れて、細部がどのように一つの印象へ統合されるかを見る
「近くでは雑に見えるのに、離れると成立する」作品は、画家の省略と統合の能力を観察しやすい。
5️⃣ 作品単体ではなく比較する
今回の展覧会で特に有効な比較は、次の通りである。
- 第1章の風景と第6章の風景
- フランス滞在中と帰国後
- 昼の光と薄明
- 客観的な写実と象徴的な風景
- 男性画家と女性画家による人物像
- 日常の記録と理想的な生活の演出
- ロマン主義的な幻想と象徴主義的な幻想
- 人間中心の風景とリリエフォッシュの動物画
❓ 各作品に使える5つの問い
すべての作品へ機械的に当てはめる必要はない。気になった作品に一つか二つ使えばよい。
1. この画家は現実を正確に描こうとしているか
それとも、感情に合うように形や色を作り変えているか。
2. これはスウェーデンの実景か
それとも、「スウェーデンらしさ」を演出した風景か。
3. 光は何をしているか
物を見やすくしているのか、時間帯を示しているのか、それとも気分を作っているのか。
4. 自然は背景か、主体か
人間が自然を眺めているのか、それとも人間が自然の中へ吸収されているのか。
5. フランスで学んだものがどこに残っているか
写実、戸外制作、明るい色彩、人物表現などが残っているか。それとも意識的に離れようとしているか。
📝 鑑賞メモの簡易テンプレート
気になった作品だけ、次の形式で記録するとよい。
作品名
第一印象: 静か、冷たい、不穏、温かい、など。
その印象を作る要素: 構図、色、明暗、光、筆致、人物の姿勢など。
現実から変形されている点: 色の単純化、遠近感の圧縮、輪郭の省略など。
スウェーデンらしいと感じた点: 自然、薄明、生活、民俗、神話など。
比較した作品: 同じ章、前の章、同じ画家の別作品など。
自分が惹かれた/惹かれなかった理由: 評価ではなく、画面上の要因として書く。
「好き」「嫌い」で終わらず、なぜそう感じたかを画面上の要素へ分解すると、後から自分の評価を検証できる。
📌 特に注目したい比較
🌊 マルクス・ラーションとストリンドバリ
- マルクス・ラーション《荒れ狂うボーヒュースレーンの海》
- ストリンドバリ《目印のないブイ、嵐の海》
- ストリンドバリ《ほうき状のブイ、嵐の海》
いずれも荒れた海を扱うが、
- 自然を劇的な光景として描くか
- 絵画そのものを不安定にするか
を比較する。
☀️ フランスの昼光とスウェーデンの薄明
第2・3章の明るい戸外光と、第6章の月明かり、日没、夏の夜を比較する。
- 光が物の形を明確にするか
- 光が形を溶かすか
- 色彩が鮮明になるか
- 微妙な色差が中心になるか
を見る。
🏡 カール・ラーションと他の室内画
ラーションの室内画を、ハンナ・パウリ、ファンニ・ブラーテ、エーヴァ・ボニエルなどの作品と比較する。
- 家庭は誰の視点から描かれているか
- 暮らしは理想化されているか
- 人物と家具のどちらが主役か
- 光がどのように幸福感を作っているか
を見る。
🧚 第1章と第5章の幻想
- 《草原の妖精たち》
- 《水の精》
- 《扉を開けたラッブモール》
- 《最後の人類》
- 《恍惚とした人々》
を比較する。
物語を説明する幻想から、内面や不安を象徴する幻想へどう変化したかを見る。
📷 展示上の注意
出品作品はすべてスウェーデン国立美術館の所蔵である。
愛知会場では、作品番号32、33、36、37は展示されない。作品リストの番号と展示番号は一致するが、リスト上の順序と実際の展示順は必ずしも一致しない。
愛知会場では、原則としてすべての作品を撮影できる。
ただし、
- 動画撮影
- フラッシュ
- 三脚
- 自撮り棒
- 展示映像の撮影
は禁止または制限されている。詳細は展示室入口の案内に従う必要がある。
撮影に集中すると、作品を肉眼で観察する時間が減りやすい。最初に作品を見て考え、必要なものだけ最後に記録する方がよい。
🧾 まとめ
本展の中心にあるのは、外国の技術を学んだスウェーデン人画家たちが、自国をどのように見直したかという問題である。
理解の鍵は、次の流れにある。
外国の様式を学ぶ → 現実を観察する技術を得る → 自然と日常を描く → 自国固有の題材を探す → 感情や精神性を風景へ重ねる → 「スウェーデンらしい自然と暮らし」を作り出す
鑑賞時には、「プロらしく上手いか」を判定する必要はない。
代わりに、
画家が何を操作し、自分にどのような感覚を生じさせたか
を考える。
光、色、構図、筆致、省略、人物と自然の関係を観察し、前後の作品と比較すれば、画家の選択が見えてくる。
スウェーデンらしさは、最初から自然の中に完成した形で存在していたのではない。
森林、湖、薄明、冬、家庭、民俗、幻想などの中から、画家たちが題材を選び、構成し、繰り返し描くことで形成された。
この展覧会は、スウェーデンの美しい風景や暮らしを見るだけでなく、
一つの国が美術を通じて、自分自身の姿を作り上げていく過程
を見る展覧会である。